9月15日土曜日

もうやめよう、自分を虐めるのは

 

誰もが自分を嫌っても、親に勘当されようと、昔からの友人に失望されようと、誰に殺される位憎まれても、自分だけは自分の味方であろう。

 

他の人に嫌われない様にとか、誰かに感謝される様にとか、高望みし過ぎた。

もう十分だ。

 

これからは誰に何を言われようと、世界の全員が自分を嫌おうと、自分の好きな様に生きる。

 

他人の顔、考え、感じ方なんてどうでも良い。

自分だけの事を考える。

9月13日木曜日

今日は精神病が強く表れた。

 

自分の腕を引っ掻いて血は出るし、脚は殴って腫れ上がっていたいし、頭を叩くしでもう散々だった。

衝動的にやる事なので、冷静に考えれば物凄く意味がわからないし、気持ちが悪い。

 

鏡に向かって、何でお前は生まれただの、早く死ねだの、本当に意味のない、気味の悪いことをしてしまった。

 

本当に死ぬ事は出来ないくせに、こういう行動はするから質が悪過ぎる。

 

 

今迄の話もここからの話も自分なりの解釈で話しているが、これは反発が多そうな事を言うけど、自分はそう簡単に子供を産むものでは無いと思っている。

 

母体が尋常ではない苦痛を伴いながら産むのだから簡単に産める子供などいないとか、そういう事を言いたいのではなくて。

 

これは貧しい家庭環境などや辛い環境で育って立派に自立した方には殺したいくらい憎い言い分だろうが、私は優秀である程度の資産のある家庭で、不自由なくそれなりの愛情をもらえる夫婦関係にある人間だけが子供を持つ、それだけで良いと思っている。

 

子供が少なくなると次世代が可哀想だとか、国が立ち行かなくなるだとか、人類が終わるだとか、難しい事は馬鹿で愚かな自分には分からない。

目先の事しか見えていない自分の意見だ。

所詮は精神病の底辺の意見だが、目先も真っ暗なただ息があるだけの何かになる様な奴が減れば良いなと思った。

 

生まれてきて今まで生きてこれて今生きているのが幸せと思える事、それ自体が幸せなんじゃ?

考え方の違いと言われればそれまでか

9月12日水曜日

ツイッターを見ていると、リツイートの多い物には色々なリプライが付いている。

動画サイトにも宗教の様に投稿者を崇めているようなコメントを多々見つける。

 

自分は誰かのコメントに自主的に反応した事はないしする気もないが、あれだけ人を盲目的に好きになったり、見ず知らずの誰かに攻撃的になったり出来るのも良いか悪いかは置いておけば能力だと思う。

 

自分も何か好きな物、動物、何かがあれば良かったのに。

 

アニメも見るときは見るがほとんど惰性だ。

ゲームも苦痛に感じる時が多くなった。

アイドルを盲信しようとしたが、そもそも興味が湧かなかった。

テレビも見ない。釣りもストレスだった。

楽器も触った事があるが、やる気が起きない。

バスケットは一人でやってもつまらないが、バスケをしているような奴と一緒にはやれない。

snsも情報が多過ぎるのと、今流行っている、皆が面白いと思っているものが理解出来なくてストレスになる。

 

趣味が分からない。

無くても良いのだろうけど、つまらない。

 

何をしても楽しめないので、友達も離れていく、私と一緒にいると暗くなる。

疫病神だ。

 

こんな人間、せめて他人には迷惑をかけたくなかったが、人の百倍掛けてきた。

これから先はもっと、邪魔だし、迷惑になるんだろう。でも、勇気が出せず死ねない。

 

結果ダラダラとくよくよしていく。

 

私には今が地獄だ。

 

いっぺん死んでみたい。

もしかしたら本当に楽なのかも知れない。

私は無宗教なので、死んだら無が待つと思っているけど、それでも地獄を生きる今よりマシならそっちへいきたい。

 

何が今が地獄だ、生きたくても生きられなかった人もいる、こんな幸せな時代に五体満足で生まれてきて甘えるなゴミが。早よ死ね。

と言われた事もあるし、大多数の人はそう思うのが正常な事も心得ている。

 

 

知ったことか。

お前の考えなど知ったことか。

9月11日火曜日

自分は運が良くない気がする。

 

今日は体調が悪かった。

そういう時に限ってバイトが忙しかった。

 

早く定職に就きたいが、この前の企業もダメだった。

まあ、今の自分を置いてくれる所は黒しかないとは思っていたが。

9月10日月曜日

自分の人生を振り返ってみて何か楽しいことはあったんだろうか。

 

 

小学生に上がる前に、親が離婚して親権を母親がもった。

正直とても小さかったのでその時のことはよく覚えていない。

離婚が成立して母親に育てられるようになってから父親の悪口をたくさん聞かされた。

 

あの頃の母は、常にイライラいていて私や兄を叱る言葉は「あいつのようにはなるな、そんなことしているとあいつみたいになるぞ」が常套句だった。

仕事から帰ってくるとイライラはピークで、カーテンの裏にいつも隠れていたがそのまま蹴られたりした。あの頃はとてつもなく母が怖かったのを今でも覚えている。

 

買い物に車で行くと母を怒らせることがあった。そういう時は帰り道の田んぼ道にぽつりと置いて行かれることもあった。歩いて帰った。

昼も働き、夜はスナックで働いていた母のことを思えば、離婚のストレス、子育てのストレスを合わせて、仕方のない行動だったのかもしれない。

 

そんなわけで夜もいないので、あまり一緒に寝たりした記憶がない。

食べ物もカップラーメンがほとんどを占めていた。

おばあちゃんが生きていたころは楽だったが、小学校に上がったと同時に死んでしまった。

 

小学校へは田舎の長い道を雨が降ろうと歩いた。

登校班の人たちが送り迎えをしてもらう中いつも一人で帰った。

 

 

保育園にいたころが一番ひどくいじめられていたが、母の送り迎えはいつも一番遅くて先生と最後まで泣きながら毎日待っていたことを覚えている。

 

サンタさんも誕生日おめでとうもやっている場合ではなかった。

行事に関心ももてないしそういう習慣がないのはこのことからかもしれない。

 

自分の写真はほとんどない。七五三の写真も何もない。

 

小学校の運動会は親子参加とかいうだれも得しない競技があるが、あれはいつも先生とやってもらった。

 

 

中学校も雨でも雷でも自転車で乗り切った。

中学校に上がると、部活でいじめがはやった。

もちろん自分も標的だった。

蹴られたり、隠されたり、無視されたり。

それでも不登校になることはなかった。

 

高校は、同じ部活の同じいじめられていた子と同じ公立高校をめざした。

理由はその子が行くから。

その子は落ちて、自分は受かった。

 

少し遠いところで、知り合いが一人もいなかった。

けれど仲のいい人はできた。自分と少し似ていておとなしめの人だった。

一年の何か月かでその人は学校をやめた。高校が自分に合っていなかったらしい。

お昼を一人で食べなくてはいけなくなったので悲しかった。

やめてしまった後もメールで話していたが、通信制に行ったらしかった。

 

高校ではバスケットボール部だった。中学もバスケ。

お金がないので、アルバイトを高校入学と同時にしていたが、一年の半ばで母が子宮がんで手術した。

部活をやめて、アルバイトの掛け持ちをした。母の洋服なども遠くの病院まで届けに行った。抗がん剤で髪の毛が抜け落ちたのを見たときは少し驚いた。

 

夏祭りのアルバイトの集客の時に、高校をやめて通信に行った友達を本当に偶然見かけた。隣には新しい友達がいて、楽しそうにしていたので声をかければかけられたがやめた。

 

そしてすぐに東日本大震災がおこった。

古い自分の家は壊れた。

電車が長いこと復旧せず、学校も休みだったのでその間は自転車で片道三時間かけてほぼ毎日アルバイト先まで行った。

帰ってくる頃には日をまたいでいて警察に声をかけられたこともあったし、地震の溝に自転車の車輪が挟まって今も残る傷も出来た。

 

進学校だったので大学に行くことになった。

近くて一番学費の安いところにした。

 

健康診断でペンを貸してあげたことで仲良くなった子がいた。

大学でも友達ができたとホッとしていたら、学校にこなくなった。

二年に上がるころに大学をやめてしまった。

それからはほとんど一人でご飯を食べて、授業を受ける繰り返しだったが、友達はできた。

 

とても自分と似ていて本人には失礼だが、弱い人間だった。

気が付かなかったが、自殺未遂をしていたらしい。

三回首を吊ろうとしたが、意識がなくなる寸前でもがいて首をひっかいてでも助かろうとするらしい。

三回目以降は怖くなってやめたらしい。

 

 

前から対人恐怖の感情に悩まされていたが、大学時代にピークに達した。

電車に乗っているだけで苦しくなり、周りに人が立っているだけなのに自分の悪口を言っているような幻聴が聞こえるようになってしまった。

学校のカウンセラーに見てもらったが意味がなく、病院に行くことになった。

鬱病と診断された。薬を出してもらえたが、全然効かなかったので金もないし行くのをやめた。

 

 

多分今も治っていないのかもしれない。

 

人生で一番楽しいらしい大学生活はそんな感じだった。

大学の入学時の親睦会は、ちょうど肺気胸を患って行けなかった。

 

 

 

 

 

思い返しても、大したことのない取るに足らない人生だった。

良いことをしようと思った時期もあった。

他人にやさしくすれば必ず自分の人生が豊かになると信じて。

そんなことはない。誰に優しくしようが、腫物のように扱われている人に自分だけでも教科書を貸してあげたり、悪口を言わなかったり、普通に変わらずに接したりしようが映画や漫画のように自分に返ってくるかどうかは運。

 

見返りを全く求めない聖人のような奴がいるならそれもいいと思うけど。

 

 

これより不幸な人はいくらでもいるんだろう。

こんな人生恵まれてると思う人も、食っていられる、生きていられるだけでも幸せだと思える人もいるんだろう。

 

俺には思えませんでした。心も未熟で何にもない自分には思えませんでした。

それだけの事でした。

 

 

 

 

9月9日日曜日

聴きたい音楽も、会いたい人も、やりたい事も、なりたいものもない。

 

死ぬのが最善の選択だと分かっていながら、勇気がない。どうせ皆死は訪れるし、それが早まるだけの事なのに。

 

こんな非生産的な考えで一日が終わる。

もう職場で嫌われようが、イヤミを言われようが、怒られようが、家でこの歳で怒られようが、少し気分が落ちるだけでどうでも良い。

 

こんな感じで社会から抜け落ちていってしまったら、変わらなければ死ぬ迄このまま。

でも変わる勇気も努力も出来ないし、しようと思わない、誰から何を言われても躍起になる事が出来なくなった。

人間の姿をした、臓器と付くものが付いているだけのゴミ。

 

考える暇があるからこうなるし、考えればこんなくだらない事になるの分かってるんだから考える前にやればいいのに、なかなかどうして上手くいかない。

 

少しお金を貯めて海外で安楽死が一番現実的で、自分にとっての精一杯なんだと思う。

 

職場の上司の親が死んだらしいけど、俺は親が死んだら泣けるんだろうか?

ここまで、片親で身を粉にして育ててくれた母に心の中でお前さえ俺を生まなければと、こんな風になるのは貴方も私も望んで無いんだから、赤子の時に縊り殺す事をして欲しかったと思うようになった。

 

須らく感謝すべき事を、ここまで拗らせ憎悪めいた感情にまで昇華させたのは自分でも悪い方で凄いと思う。

 

でも、まあ、それもどうでもいい。

 

他人は自分の事に興味は無いし、動いてる、生きてるっていう認識しかない。死んだって気づくのはそういない。影響もない。安い命。

 

文字にしたって、話したって、絵で描いたって伝わらないよ。

他人に人の気持ち分かるわけない、分かろうとしてくれて寄り添ったって、1パーセント分かれば優秀だよ。

ましてやこんな病人の感情分かる奴のが少ないよ、分かろうとしてくれる人だって、行動力と合わされば電車止めたり、ロープで輪っか作ったりしてるよ。

 

現実でこんな事いえば、皆辛い中それでも頑張ってるってなるんだろうけど、死ね。